山形から東京へ

30年間山形で公立中学校の教師をしていました。

出身は大石田という小さな町です。有名なものは特にありません。隣の尾花沢には銀山温泉という秘湯があることで少し名が知られていますが、私が生まれ育った町はその銀山温泉の最寄駅(といっても車で30分かかります)で山形新幹線が停まるということだけでしょうか。

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人生の転機

2020年から2021年にかけての1年で自分の生き方は一変しましたね。

病気と大怪我が重なり、1年の1/3を病院のベッドの上で過ごすという生活が自分の人生を変えたといっていいと思います。

あまり、暗い話はしたくないのですが、この時期にたくさんの人間の嫌な部分を見てしまったことも悲しかったですね。

小さい町でしたから、自分を蔑むような目、これまで同じ同僚だった教師達が一斉に色眼鏡でみるような態度。

そして、パートナーの裏切り・・・。

もうこの町にいても自分は成長できないな、そんな思いをした時に、Webデザインスクールと出会いました。

せっかく学ぶなら、いっそ東京へ行っちゃおう!

年老いた母を残して家を出るのはちょっとつらかったんですけど、それ以上にこの町にとどまったら自分が廃人になるのは目に見えてたんです。

月に一度は帰る約束にして、2022年3月末、東京の練馬にある起業家シェアハウスに入居することにしたのでした。

32年ぶりの一人暮らし

東京での一人暮らしは32年ぶりです。

初めは、何もかも物珍しい感じで落ち着きませんでしたが、スクールに通い出すと毎日があっという間に過ぎていきます。

毎月、通院リハビリのために、帰省するという二拠点生活だったので、住所は山形に置いたまま。

東京にいても、お客さんな気分がどこかにあった感じはつづきました。

やはり、住所というのは大事で、自分の拠点がどこにあるか、というのを明確に示してくれるものですから、落ち着かないのは当然です。

シェアハウスでの生活はとても面白いものでした。

毎月プレゼン大会が催され、自分の事業企画や気になることをアウトプットする機会がありました。

自分も一度アウトプットさせてもらいましたが、ここでたくさんの方々と交流を持つことができたことは今でも宝となっています。

狭いコミュニティでしか生きていなかった人間が、いきなり東京のど真ん中で見ず知らずの集団の中に放り込まれるわけですから、対人スキルは否応なくあがりましたね。

ここでの経験とスクールでの学び、そして駅から歩いていろいろなことを考えた日々。

2022年は自分にとって新しい生き方を模索する大切な時期となりました。

この時期があったから、自立することができたんだなーと今では思いますね。

発想の転換 山形は別荘

2023年の春からは完全に東京に住所を移し、スタジオを開設しました。

じゃあ、山形を捨てたの?

2拠点生活じゃないじゃない。

いやいや、冬は大石田に籠り、雪かき三昧の日々を過ごしますので、立派な2拠点生活です。

冬季の2ヶ月半はまるっと、大石田生活ですから。

ここで思ったのが、山形生活は別荘生活と考えればいいのかな、という発想の転換です。

そうですよ!別荘ですよ!

通常、別荘というと、東京の上級国民が軽井沢あたりのコテージ2LDKを所有している感じじゃないですか。

でもこちとら、新幹線直通、徒歩3分の地で7LDKですから。

土地建物の所有は母との共同名義になってますから、一応資産にもなってるわけです。

冬の雪は大変ですが、山形でもそばが美味しいことで知られており、銀山温泉も堪能できるし。

別荘として考えれば、とても心地いいわけです。

Webの仕事をし始めると、仕事の需要は圧倒的に都内に集中します。もちろん山形でも探せばあるんでしょうけど、仕事の質や成長速度を考えれば東京一択です。

月に1、2度帰ったとしても、交通費は収入の格差でペイできてしまいます。

だから、無理して地方で歯を食いしばっている必要がないんですよねー。

地方は別荘!そんな風に割り切る覚悟がこれからの生活には必要なのかもしれません。

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