50代からのIT転職は地方で実務経験を積む方が良い理由

吉祥寺の冬

11月に訓練校を修了し1か月がたち、東京から仙台へ転居することを決断しました。
このまま東京で転職活動を続けても良かったのですが、QOL(クォリティ・オブ・ライフ)を総合的に考えて引っ越すことにしました。
今回は、リスキリングのゴールに地方を選んだ理由を説明したいと思います。

目次

学び場は東京、自己実現は仙台!

なぜ、ITを選んだか?

パソコンが好きだったのはもちろんですけど、一番の理由は場所を選ばずに仕事ができることでした。

それまで30年間ずっと公務員として場所も立場も縛られる環境にいたことが反動としてあったのかもしれません。

ですのでプログラミングはあくまで手段でした。

一番やりたい仕事というわけではなかったですね。
本当にやりたかったのは、ギター制作だったりするんですが…。

それはさておき、この3年弱、東京で学びと就業をしてきて、50代後半の今の自分がこのまま都会で暮らしていていいのだろうか?という疑問が大きくなってきたことは否めません。

半年間、Web制作の仕事で通勤した時にそれを痛感しました。
それがきっかけで1年間バックエンドの学習という迷宮に入ってしまったわけですが。

まあ、デジLIGを修了したおかげで、制作の仕事に就けたわけですし、訓練校でPHPを学んだことで一旦はプログラマーとして内定を得ることができたわけです。

その意味でも、東京で学ぶことには意味があり、地方ではレベル感を体験することができました。

ありがとう!東京!

といいたいところですが、

やはり、その後の自分の生活を考えると、ここでずっと生活をしていくべきなのかなぁ、と思うことが多くなっていったのでした。

人との距離感、電車通勤、どこにいっても行列、QOLはダダ下がり

これは自分自身のことなので、あてはまるかどうかは人それぞれだと思いますが、私は東京での人との距離感を最後までつかみきれなかったのが大きいかもしれません。

東京という大都会は多くの人が行きかっているので、自分の代わりはいくらでもいます。そこで生き残っていくには、自分を守りつつ、いかにアピールして有利な状況に持ち込むかが大切だということです。弱みを見せたり、謙虚であることを美徳として持っていると付け込まれたり、ハラスメントに合うことは日常茶飯事です。
私は3度もこういう経験をし、お金を得るためになりふり構わない人間の姿勢を見ることになりました。

地方とは違う生き方がそこにはありました。
ITの世界(Web制作やエンジニア界隈)はそれが顕著で、他人のことをおもんばかったがために自分が罪をかぶらされたり、マウントをとられることがありました。

こちらがきっとスキルが十分であれば、相手の接し方も違ったかもしれません。

やはり人は自分よりも(立場やスキルが)強いか弱いかで態度は変わるものです。
特に50代後半の自分に対して、他者が求めるものは「経験値」なのだということです。

ですから自分よりも経験がないと分かれば、マウントを取るのは当然だし、若手であればそれを許容できても、年齢だけは倍以上となると、そこにねじれが生じ良い職場環境がつくれないということになるのだということです。

3度もパワハラまがいのことがあると、「これは自分に原因があるのかなあー」と悩んだりもしたのですけど、どうも上のような人間関係のねじれが生じてしまっていたようだったのです。

これを解決するのは容易ではありません。

  • 相手に服従する関係を許す
  • スキルアップをするまで仕事をしない
  • 自分のスキルに見合う仕事を自分で見つける

50代の生存戦略として考えると、最適解は3番目ではないかと思うのです。

世の中は想定以上に50代への風当たりは強いです。
まるで今まで仕打ちされてきたことを人を変えて倍返ししている風な雰囲気を40代以下から感じることがあります。

自分は何もしていないのに・・・と感じることが多くありましたが、これまで社会が作ってきた世代間の構造がこういうルサンチマンを生み出しているということを理解しないといけないでしょう。

悲しい時代になったものです。

50代の地方生存戦略

東京での経験をもとに、今後仙台でのIT生存戦略を考えてみました。

東京に比べ地方は人との精神的な距離感が狭く、相手のために尽くすとそれに応えてくれるという価値観が存在しています。

ビジネスの規模は東京に比べれば小さいですが、やった仕事への感謝の価値は東京を上回るものがあるのは事実です。東京はそれがない代わりにお金が高いのですけどね。

私はもともと山形出身なので、隣の仙台とはとても親和性があり、東京からの仕事を受けやすいということから仙台への転居をすることを決めました。

小さい地方のパイの中で、50代がどのような戦略を描いていくかをここで考えたいと思います。

できるだけ年齢不詳を通す

オジになると、どうしても年齢を先に出して、相手に了承を取る態度に出てしまいます。

でも、これは御法度だということです。

もちろん、公的な書類(履歴書や経歴書)は年齢は隠せませんが、あとは求められない限り自分から年齢をいう必要は一切ないのです。

セルフブランディングの一環で年齢出すなら別ですが、ビジネスの場面で年齢をいうシチュエーションは基本ありませんから。

迎合しなくてもいい、けど身なりは清潔でおしゃれに

若者は自分のおしゃれに気を使います。
自分の息子や娘を見ていてもそれは明らかです。

彼らはなぜおしゃれをするのか?

それはもてたいからです。

若者の価値観は最優先はもてるということ。
これは人間の動物として本能がそうさせるわけです。オスはメスを求め、メスは良いオスの遺伝子を残すためという動物的な本能です。

ではオジはなぜおしゃれをしなければならないのか?

それはQOLを上げるための投資なのです。

だらしない身なりとお腹では、誰もそんな人と一緒に仕事をしたいと思わないからです。

おしゃれといっても、高級ブランドに身を包めろというのではなく、ユニクロやGUでいいので、ちょっとだけトレンドを追っかけてみるといいと私は思っています。

私は半年に一度大学の友人たち6人と集まり酒を酌み交わす会があります。
その会に行くと、みんな更けたなーと感じるのですが、その中にあって自分は身なりは若いと思うし、仲間からも、若いなーといわれることが多いです。

別に何か特別なことを実践しているわけではないのですけど、ギターや音楽が好きなこともあって、人前に出る時の身なりはそれなりに気を使っているからかもしれません。
背が低いこともコンプレックスとしてあるので、それをカバーするためにふるまっている面もあるかもです。

仕事の背伸びはしない

IT系のインフルエンサーが未経験からの戦略で、スキルの7割ができると思ったら受注しろ、とあおる人がいます。

これは20代の若者なら許されるかもしれませんが、50代でそれをやってしまうと、クライアントに迷惑をかけるだけでなく、自分も苦しい思いをすることになります。
「スキル不足」の烙印を押されそのまま退場ということもあり得ます。

相手は50代のBPにチャレンジは求めていないのです。

私はこれでパワハラまがいの仕打ちを受けたことがあります。こちらはパワハラだと感じていても相手はできると思って当然という態度で出てくるので大きなボタンの掛け違いがおきてしまったのでした。

これからも成長したいという思いは大切です。私も持っています。
でもそれを実務の中でやることは50代では避けた方がいいと思います。

広い作業空間を確保する

私の仙台移住の最大の理由がこれです。

PCに向かう時間が多いことを考え、作業空間をゆったりと過ごせる部屋を選ぶことを最優先しました。

今の東京のマンションは吉祥寺で9万円の3F物件で7.5畳のワンルームです。

東京では一般的な物件ですけど、私にとっては一日作業していると閉塞感が強いことを実感するようになっていました。

次に移る仙台の物件は、6万円で1LDK、6畳の和室とリビングが併設しており、開放感もあり、面積が倍になっています。

和室があることがポイントで、ここにベッドとこたつを置くことにしています。リビングにはソファーと作業用の昇降机とテレビを置き、どちらでもくつろげるようにするつもりです。
和室の扉は2面に開放できるので、普段はオープンにしておけば、閉塞感とは無縁の環境です。

3Fのベランダからは幹線道路を一望でき、100m先にはスーパーが見えます。

私は気分転換にカフェで作業することもあります。吉祥寺はカフェがたくさんありますが、土日になるとどこもいっぱいでゆったりコーヒーを飲みながら仕事などできません。まさにイモ洗い状態です。

学習期間では感じなかった都会ならではのストレスを今感じるようになってきたことと、リモートワークのスキルを習得したことで東京にいる意味がなくなってきたのでした。

課題は案件獲得

地方転居に向けて一番の課題は案件獲得です。

特に、最近東京ではリモートワークが廃止され、ハイブリッド勤務が主流になりつつあります。

私も一時ハイブリッドも視野に入れ、システム開発で就業することも考え就活を行ってきました。

そんな時に、ブラックな自社開発企業から内定を受け、週間ほど働いたことがあり、そこで自分が求めているライフスタイルではないことを自覚したのでした。

50代微経験がチーム開発でシステム開発をするのは自分の求めるスタイルではない。

自分の求めている働き方は

  • 時間に縛られない
  • 仕事のペース主導が自分である
  • 難易度の高いスキルで苦しまない

これを実現するのはWeb制作であること。
Web制作であるなら、地方でもホームページ制作案件が少なからずあること。

Web制作はスキルアップしようと思えば、フロントエンドエンジニアとして働くことも可能です。バックエンドでブラック企業にはまってしまった私にとって、Web制作へ戻ることは必然だったのかもしれません。

あとは、個人事業主としてWeb制作を行っていくのか、企業との業務提携や案件獲得の課題が残ったままです。

でも、このまま東京にいるよりも、環境を変えてパフォーマンスを上げることを今は優先したいと考えています。


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