エンジニアに俺はなる!55にして独立!

さたぼーといいます。

55で公立中学校の社会科教師を退職し、独立してしまいました。

なぜって?

まあ、いろいろあったんです・・・。

そのあたりは、おいおいお話していきますが、11月という中途半端な時期で学校を辞めましたので、決して円満な退職ではないですね。

そして、このことをきっかけに、この歳からエンジニアになろうという無謀なプロジェクトをスタートさせてしまうのでした。

どうして、55でエンジニアを目指そうとしたのか、今回はそのあたりをお話ししていきます。

目次

嘘をつかない、エラーは自分の写し鏡、それがプログラム

教師からエンジニアへ。どうしてそんな振り幅の広いリスキリングをしようとしたのか、誰もが興味を持つんじゃないかと思います。

理由は、プログラムは、嘘をつかないエラーは自分の写し鏡だということが働く上で大切になった、ということでしょうか。

自分は世捨て人になったつもりはないんですけど、31年間の教員生活で嫌というほど人間と向き合ってきたので、もうそういう濃密な他者との関係は少なくしたいなーと思っていることです。

毎年40人近い子ども達を預かり、自分の子どもよりも濃密な時間を過ごすことを30年間続けたんです。相手は子どもですから、社会性は未熟なので平気で嘘はつきますし、感情で行動しますし。そういう生態ですから、これまでは許容して生活してきましたが、さすがに違う世界を見ないと、自分の人生が豊かにならないと思ってしまったんですね。

そんな時期に、体調を壊し、大怪我をしたことで、学校とは違う世界にチャレンジしていこうと決意したということです。

実際、Webページをコーディングしていると、しょっちゅうエラーに遭遇します。エラーに出くわすと自分の場合、その原因をつきとめようとけっこう夢中になるんです。
そして、解決して動いた時の開放感。
これは、学校ではなかなか味わえない価値観ですね。それに夢中になってしまったということでしょうか。
また、エラーの原因はほとんどの場合、ヒューマンエラー、つまり自分が悪いという現実を映し出してくれます。

学校は、自分は悪くないのに、保護者に頭を下げたり、管理職に嫌味を言われたりすることが多いんですけど、プログラムの世界はそれがないところがいいですね。

自分が悪くなければ、普通に動くし、悪ければ動かない。

そのストレートさは学校にはない価値観です。
だからプログラミングを選んだということです。

退職して分かった人の見方

はっきり言って自分はお人よしだと思います。

人を疑わないことを中心に生きてきましたから。
性善説に立たないとずっと担任なんかできませんので。

でも、そのお人よしさによって、長い間に身体が疲弊し悲鳴を上げることになったとは皮肉なもんです。

挙げ句の果てに、退職すると、これまで仲良く交流していたと思っていた人がどんどん離れていくのがわかるんです。

きっと、自分と付き合っていてもメリットを感じなくなった人は離れて行ったんでしょうね。

人は所詮そんなもんでしょうから。

でもそれすらわからないで生きてきたので、当時の自分は人間不審になってしまっていましたね。

信じられるのは、血のつながった家族と親戚、あと、苦しんでいる自分の元に残って接してくれる人だけでしたね。

最後は最愛のパートナーにも裏切られましたから。

まあ、人間なんてそんなもんです。

ですから、人間の業というものを知れただけでも、退職してよかったかなと思っています。

独立直後、何もできない自分

2021年11月20日、教育公務員を退職し、翌日からフリーとなりました。

すごく体が軽くなりました。

しばらくは、その時間と心の安寧を楽しんでいたのですが、フリーとして仕事を取る準備を始めると、あまりの自分のスキルのなさに愕然としてしまったんです。

多少はコーディングスキルがあったので、Web制作で自立していこうと思っていましたが、デモサイトをつくろうとしても全く手が動かないという事実に気づいたのでした。

どうしてなんだろう?

2週間ほど、悩んだ末に分かった答え。

デザインが全くできない。

画像をチョイス、加工ができない。

ということでした。

そりゃそうです。いくら書籍で独学で勉強したところで、ほとんどの技術書は最初から画像やボタンは用意してくれているんです。

だから、ゼロからつくろうとすると、まずその部分で引っかかって手が動かなくなるんです。

じゃあ、最初からデザインカンプがあるコーダー専従でいけば。

そんなことも考えましたが、どうも自分の場合、カンプからのコーディングは、人のフンドシで相撲をとるような感覚があって、イマイチ性に合わない感じなんですね。

このままでいけない。

そうだ、デザインを学ぼう!

書籍では無理、ならスクールに行こう!

そう考えると、その日の夜中にデジタルハリウッド by LIG の説明会の予約ボタンを押してしまったのでした。

1年9ヶ月がたった2023年8月から、そのスタートとなるWeb業界に参入することができたのです。

まずはWeb制作のコーダーとしてです。

初めの一歩が踏み出せたことで、このブログを立ち上げることにしました。

エンジニアへの道はまだまだ遠いですが、Web業界に参入するまでのこれまでの歩みをふりかえりながら、あと3年以内にWeb開発エンジニアになる!という道を記録していこうと思います。

さあ、どうなることやら、誰も経験したことのない壮大な叙事詩の幕開けかもしれないですね。

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